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人のつながりの大切さを実感した能登半島地震
短大同窓の皆さんの支えに感謝し、復興へ奔走する日々
九内 雅美 さん
北陸学院短期大学保育科 1983年度卒業
和光幼稚園 主幹保育教諭
能登半島を中心に甚大な被害をもたらした年月日の能登半島地震。最大震度を観測した輪島市で幼稚園の保育教諭を務める九内雅美さんは、自宅が倒壊し、街中で火災が発生する中、勤務先にたどり着きます。防災士の資格を持つ九内さんは避難する人たちのサポートに尽くしました。同じ年の月には水害で今度は幼稚園が床上浸水に見舞われます。厳しい環境の中、復旧復興に取り組む保護者の子どもたちを預かり、健やかな毎日を送れるよう自身もまた「復興」を目指します。

保育教諭の仕事に就いたきっかけを教えてください。
幼い頃から友達に誘われて家の近くにあった輪島教会の日曜学校に通っていました。そのご縁があって北陸学院短期大学の保育科に進みました。保育の道に強い志を持っていたわけではなく、卒業後は民間企業に就職し、その後は地元の輪島に戻って家業である輪島塗の製造販売の手伝いをしていました。26歳の時に結婚、旅館を経営する家に嫁ぎました。2人の子どもを産んだあと、声を掛けていただき、36歳で初めて幼稚園の教諭になりました。
一般的には遅い「幼稚園教諭デビュー」でしたね。
知り合いだった当時の園長先生が幼稚園教諭を探しているということで、話をうかがいました。最初は経験もなくお断りしたのですが、園長先生からは「3歳児クラスだから、泣いたら膝の上に座らせてなだめて、おしっこしたらおむつを替えるだけだから」と半ば強引に勧められ、引き受けることにしました。現実はそんな簡単ではなく、連日大変でしたが、年上の先輩教諭に助けてもらいながらなんとか続けることができました。
2024年の元日、石川県では初めて震度7を観測した能登半島地震が発生しました。どこで被災されたのでしょうか。
ちょうど自宅で掃除をしていました。最初の震度5の揺れの時に家の中にいては危ないと思い、防寒具や携帯電話を持って外に出たところで、2回目の震度7の大きな揺れが襲ってきて、目の前で隣の家が崩れてきました。10年ほど前に、県が防災士の育成を始めた際、園長先生の奥さまや同僚と一緒に勉強して資格を取りました。その後も定期的に講習を受けたり、赤十字の救急講習も受けたりして、災害に対する知識を身につけていたことで冷静に動けたように思います。
地震後はどうされましたか?
いったん高台へ避難し、そのあと幼稚園に移動しました。園長先生の判断でそのまま園舎が自主避難所となりました。幼稚園は電気があり暖かかったので、職員や保護者ら約60人が避難してきました。みんなが食料や毛布などを持ち寄り、助け合いました。3日目に停電しましたが、非常用バッテリーを充電して電気を確保しました。徐々に避難者は減りましたが、最終的に約20人7月頃まで残り、私たちも幼稚園で生活しました。その後、私たちは仮設住宅に移り、昨年末からはアパートで暮らしています。
地震から8ヶ月後、輪島を中心に能登は水害に見舞われました。
幼稚園も水がつきました。床や腰板も全部張り替えました。地震よりも後始末は水害の方が大変でした。子どもたちの遊具や絵本も全てダメになりました。園庭やプールにも泥が入ってまだ修復できていません。
たび重なる災害で、皆さんが大きなダメージを受けられたことにお見舞い申し上げます。
先日、北陸学院大学の同窓会総会の席上、私はお話しする機会をいただきました。学生時代の友人をはじめとして周りの皆さんが支援物資を手に駆けつけてくださったことに感謝を伝えさせていただきました。「人が人を動かす」というのを実感しました。人と人のつながりで、多くの方に支援をいただいたことに深く感謝しています。
勤務先の幼稚園には、復興支援に多くの方が訪れました。そして九内さんは取材を通じて輪島の状況を発信されています。
被災後、多くのボランティアの方に支援をいただきました。また歌手やタレントさんをはじめさまざまな方が子どもたちを励ますためにお見えになりました。本当にありがたい気持ちでいっぱいです。そしてテレビやラジオの取材、YouTubeなど様々なメディアに出演することで私も被災地の現状や必要な支援について伝えています。すべての取材を受け入れて輪島の状況をさらに発信することが大切だと考えています。9月の水害についても情報を発信し、幼稚園の被害状況や復旧の様子を伝えています。
復旧復興に向けて九内さんの行動は続きます。
自分も被災者ではありますが、幼稚園教諭の仕事を通じて復興のために働いている保護者のお子さんを預かり、復興に貢献できたらと考えて行動しています。夫は輪島のまちづくりの仕事に走り回っており、そのサポートもできるように努めています。今回の震災と豪雨を通して、改めて幼稚園の避難経路や対応マニュアルを見直し、複数の避難場所を考えています。 家族とも災害時の集合場所や連絡方法について話し合いをしました。短大時代に学んだ人としての思いやりや感謝、奉仕の精神を忘れることなくふるさとの未来に向けて行動を続けていきます。




